「国民として、今の状況をどう行動しますか?」
今回の新型コロナウイルスの件で思い出したことがあります。
かなり前の事になりますが、家族の借金が発覚した事がありました。
今の私ならやらないのですが、そのときにコツコツ貯めた数百万を返済の一部に当てました。
そして、額の大きさにみんな思考停止になってしまったので、私がどうするかを決めることになりました。
その頃、不動産の仕事をしていました。
業務外でしたが、家賃の取り立て、滞納して返済できない方々には出て行ってもらったり、更に、詐欺に何度もあっていますし、行方不明者を探し出したりしています。
私はそういう経験を通して、人間のズルさや汚さを見ることができました。
私は『平凡でも誠実な人生を歩みたい』と思うようになりました。
そう感じていた矢先に起ったのが、借金問題でした。
実はこの借金は詐欺みたいな感じで、家族は使っていないのです。でも、借りている名義が家族なのです。
私は「人として借りたものは返そう」と判断して動きました。
どうすれば解決するのかが皆目分からなくても、今出来る目の前の事をやっていったら、奇跡的な出会いとかで、解決してきた経験が何度もあります。
この借金にしても、【どうしていいか分からない、でも誠実に対応したらどうにかなる!】-という不思議な感覚だけはありました。
どういう方法で対応するかを試行錯誤している時、誰も何も言いませんでした。でも、ある方との出会いでゴールまでの道のりを描いた途端、いろんな人が意見を言ってきました。
私は『責任を取らない口先だけのアドバイスは要らない』と思った事を総理会見を見て思い出しました。
総理は「国民の命と暮らしを守る責任を先頭に立って果たしたい」とおっしゃいました。
更に、思い出したことがあります。
私は子育てグループ、幼稚園、小学校のPTA、更に町内会でさえ、「本来の目的の為だけに行動するのは難しい」という面を体験しています。
「これは本来の目的からずれているのでは?」と発言する私と、意見を交わすのではなく、攻撃する人がいたし、ひどい人になると私の息子をいじめる人もいました。
もちろん、多くの人は良い人ですが、こういう行動をする人が中心だったりするのです。
どんな小さな組織でも、いろんな人の思いがあるので「本質」で動くのは難しいと思っています。
小さなコミュニティーでさえ、矛盾だらけなのに…。
「国」となるといろいろあるんだろうな~と思いました。
私は、経済で人は命を落とすと考えています。
なのでこの状況になった時に私は「オリンピックなんて、中止した方がいい。その為にいろんな所が倒産しそうじゃん!!」と言うと、経営者の知人は
「中止になると、それ以上の倒産になるんだよ。オリンピックをやる前提で、多くの企業や多額のお金が動いているんだよ」とたしなめられました。
今までの後手後手の政府対応にも腹を立てていますし、まだ肝心な事をやっていないでしょう!とも思っています。
でも、今は政府を信じて全面協力しようと思っています。
私がやっている事は
「感染が広がらないように行動する」
「ピンチをチャンスに、今の状況を楽しむ」
「政府を信じて、収束を想定して準備する」
兎に角、収束が先です。
不満があるなら事態が落ち着いてから、そういう行動を選択するといいと思います。
大好きな沖縄の方へ「物事には、【歴史と思い】があります」
私がある会社で働いていた時に、課の責任者が退職しました。
彼女の元で数年働きましたが、重要な事は全て彼女がしていました。
会社に退職を伝えてから、その後1か月で引継ぎをしました。
業務全ての引継ぎには時間が足りませんでした。
退職後、仕事を任された私は、困る事が次々と起こったので、自分でマニュアルを作成する事にしました。
仕事の一つ一つに対して「これは何の為にやっている?」「すべきことは何か?」と考えながら作成していきました。
そうすると、やる事が【目的】になっている仕事が出てきました。
万一に備え、必要な時にやれるように資料を用意して、思い切ってやらない選択をしました。
最終的に業務に差しさわりのないと想定した業務全て、2度とやる事はなかったです。
そういう試行錯誤の末、マニュアルができました。
私は「完璧だ‼」と自画自賛しました(笑)
ですが、実際にはトラブルがある度に、少しずつ変えていく事になっていきました。
私の想定外でのミスが連発したのです。
マニュアルが出来て半年後、私はマニュアルの見直しをしました。
そうすると、驚愕の事実が判明しました。
ミスやトラブル防止を防ぐために、分かりにくく、かえって手間ばかりで、意味のない仕事が増えていたのです。
(実は、どこの部署でも使えないという人物を押し付けられてて、その子のミスが半端ないというのも原因の一つでした。)
その時私は「マニュアルも見直しが必要なんだ。更には、根底から見直す必要が定期的にあると思いました。」
イメージとしては「家」を保つ事と同じかな~と。
汚していなくても、埃がいつの間にか降り積もる。なので、掃除が必要。
使い続けると、消耗していくので「リフォーム」がいる。
リフォームの範囲が広くなると、建て替える方が効率がいいーという具合に…。
ところで、会社の業務がおかしい事ってありますよね。
例えばですが「最初から、こんな非効率で、生産性の低いやり方だったと思いますか?」
何でも、歴史があり、そして作った時代背景も影響しています。
マニュアルは、上司が定期的に見直しをするのが理想だと思います。
けれども、その上司にとって今まで業務外であれば、これに手を付けるのは自分の範囲外の責任を伴うので、やりたがりません。
そもそも未知の領域で手を付けると、どうなるか分からないし、批判される可能性が大きいのです。
人は無意識に、今までこれで生きてこれているので、このままでいたいというのが生存本能として備わっているのです。
もう一つ知っておくといい事は、変えたり、提案された事は
「今までの人を否定する作業になるのです」
人は自分のやっている事を否定されたくありません。自分で気が付き、訂正するのは抵抗がありませんが、例え提案された事が、頭で正しいと分かっていても「感情」が邪魔をします。
そうやって無意識に自分を守り、正当化するのです。
そして、周りの人が「我慢して」行っている場合であったとしても、あなたの時代から良くなるという事は「ある意味、今までの自分を否定する」事になるのです。
人は「認められたい動物」です。そして、無意識にバランスを取ります。
無意識に「意見」を提案する人へ嫌がらせをする人がいるのは、こういう理由もあるという事を知っていると生きるのが楽になると思います。
私はこの事が分からず、数年間いじめにあっています。
今回書いた内容は、私が当時「この事を知っていたら…」と思った事です。
でも、今では私をいじめた人に対して感謝しています。
この事を知らない人生より、知っている今の人生が幸せだからです。
最後に私には、何が足りなかったのでしょうか?
「今までやってきた方たちに対する労う気持ち、感謝の心です」
「忙しいのに、頑張っているね」「いつも、ありがとう」と相手のやってきた事を否定せず認める。それから、「自分の気持ちや提案したい事を伝えます」
相手が先、自分が後なのです。
大好きな沖縄の方へ「ブラック企業で働いている人に読んで欲しいです」
仕事について、一つの考え方があるな~と思って読んでください。
私は高校卒業後に家を出て、頼るのは自分だけという状況でした。
なので、「未熟な私を雇ってくれてありがとうございます。」-と、心から思って働いていました。
生きる→お金が要る→働く必要がある→雇ってくれた→生きていける→会社のおかげ
という考え方です。
腹の立つ事も多いですが、働いている時間は、私の能力全てを会社に捧げるつもりで働いていました。
多少の文句や愚痴を仲間と言い合っていましたが、愚痴レベルで収まらなくなり「ここでは働けない」と判断したら、転職活動を休みの日にしていました。
なので、転職は何回もしていますし、そもそも私は、勤めている会社が未来永劫残っているとは思っていません。
だから、そこの会社では不要な資格でも、関連する資格は取得するようにしていましたし、働いて得られる知識は身につけるように努力していました。
理由は、同じ業界の他社で、通用する人材でいる為です。
時々、雇用主にいいように使われていて、文句を言いながら働いている人に会います。
最近、私は愚痴だけで終わる人達の共通点を見つけました。
会社に働きながら復讐しているのでは?と思ったのです。
例えば、お気に入りのお客様に規定以上の粗品をいつもあげていたり、お客様に経営者の愚痴を言っていたり、手を抜いて楽をしようとしてるのです。
そこで継続して働き続けれらるように、心のバランスを保つ為に無意識に行動をしているんだな~と思ったのです。
この心理を以前のブログ「人はバランスを無意識に取っている」に書いています。
最後に、紹介したい本があります。
脳科学者の中野信子氏の著書【科学がつきとめた「運のいい人」】の中で書いているのですが、ブラック企業の社長が社員を採用する内容の一つに「使い勝手のいい人材」があるそうです。
使い勝手のいい人材の特徴の一部が「まじめ、人を疑う事を知らない、人の話を素直に聞ける、責任感が強い」だったそうです。
普通なら、こんな人は理想的ないい人のように思えるでしょう。
まじめというのは、ある意味、社会規範に自分を合わせる事です。
人を疑う事を知らない、人の話を素直に聞けるというのは、ある意味「自分」を持っていない、ということ。つまり、自分を大切にしていないのです。
社会のルールに自分を合わせがちな「自分」を持たない人が責任感を発揮するとどうなるか。
自分が入社した企業はどこかおかしい、居心地が悪いと気づいていても、なかなか辞められないのです。ほかの社員は一生懸命頑張っているのに、自分だけ辞めるのは申し訳ない、責任を全うできない、などと考えてしまう。責任感の使いどころを間違えてしまうのです。
では、どうすればいいのでしょうか?
中野氏の答えは「大切なのは、社会のルールや常識を自分より上のものとみなさない事。一番大切にするべきは自分なのだ」と考える事です。ーとおっしゃっています。
大好きな沖縄の方へ「人を「行動」で見よう」
口先だけの上辺の言葉にほだされる人がいます。
例えば、「お前は素晴らしいんだけら、そのまんまでいいんだよ。」
なーんて言うセリフにコロッといっちゃってる、不倫している女の子に会うことがあります。
「親も誰もこんな事言ってくれなかった。本当の私を認めてくれるのは彼だけなんです。」と彼女は言うの。でも、『彼が好きというよりも【彼の言葉】に縋っているように感じました。』
ところで、私の中で口先だけの代表選手は「父」です。
その父の事を友人が「さっとンさんのお父さんって、仏様みたいな人だね~」-って言われた衝撃は昨日のように覚えています。
外面がいいのです。家族にDVしている人ほど多いように感じます。
口先だけ良い人だった父のおかげで、私は「行動」で人を見るようになりました。
今現在、自分が置かれている現実が苦しいと言う人によく会います。
「理想」と「現実」の差が大き過ぎて、その状態から抜け出すのがとても難しいのです。
「理想」を現実のものにするためには、まず「現実の現状を把握し、改善していく行動をし続ける」事が必要ですが、残念ながら論理的に正しいものは地味で面白くないものが多いのです。
状況によりますが、基本的にコツコツ一つ一つ積み上げるしかありません。
実は、人間は自分が正しいと認めて貰いたくて、本能が「気持ちがいいと感じる方を優先させようとします」更に「楽」をしたがる動物なので、「理想」と「現実」の大きな差に、正攻法では達成できないと感じてしまい、その為に耳触りのいい言葉を発言する人を信用してしまうのです。
私がこの本能に抗う事が出来る理由が、コツコツ積み重ねて得た成功体験を味わっている事が大きいのです。良かったら「理想の自分になる方法」を読んでみて下さい。
更に、周りの環境も大事です。
口先だけの人だな~と思ったら、近づきすぎない事をオススメします。
意識して生活を送ると、そういう人と過ごすとあなたの中で違和感が大きくなると思います。段々と人間関係も変わっていきます。
「行動」を見るという事ができてくると、私の場合「言っている事」と「行動」している事が一致している人に囲まれるようになりました。
ちなみに、偉そうな事を書いていますが、全ての行動を律して生きるのは苦しいので、自分に甘い面も沢山あります(笑)
大好きな沖縄の方へ「意見をシェアしてみませんか?」
様々なケース3つを用意しました。まずは、読んでみて下さい。
ケース①
私の知人で、年収5千万以上の経営者の方がいます。
以後Aさんとします。
Aさんの娘さんが結婚する事になりました。
結婚式を海外であげるそうで奥様と娘さんが相談し、全て決まってからの報告だったそうです。全てAさんが費用を出す事になっているそうです。
Aさんは除け者にされたと、愚痴っていました。
ケース②
息子が小2の時に、「パパとママが離婚したら僕はママと暮らす。」と、突然言いました。
両親が離婚したお友達がいたようです。
理由を聞くと「パパは僕が学校から帰った時にお家にいないけど、ママはいるから」でした(笑)
主人と別れたとしたら、息子と2人で生きていく為に私はバリバリ働かなければいけなくなるので、どちらと暮らしても、その点では同じなのですが、息子には見えてないのです。
ケース③
最近では、公共の施設にもお子さんを遊ばせる広場があるのは珍しくなくなりました。
そういう場所は、親など保護者が一緒に過ごす為のものですが、子どもを一人残して用事を済ませる方がいるそうです。
そこで、「その広場を辞めた方がいいのか?存続させた方がいいのか?」という内容の会議が開かれました。
会議が開かれるくらいなので、一人や二人ではないと思います。
私は、知人が会議に出席したので知りました。
あなたは、それぞれのケースを読んでどう思いましたか?
私はケース①は、自分の家庭を奥様に丸投げにしていたからだな~。別に奥様も娘さんも、無視しているつもりはなくて、いつも通りなんだろうな~と思いました。
立場は全く違うけど、日々の家族の接し方が大事だな~と思いました。
ケース②は、最初は、子どもは視座が低いから見えてないんだよね~。と思っていましたが、段々自分はどうなの?目の前の利益や感情で判断していないの?と考えるようになりました。
子どもの事を笑えないーと思ったのです。これに気が付いて以来、「一つの事が変わるという事は、そもそもの根底が変わるかもしれないという事」も考えるようになりました。
ケース③、この事例は、「一時の欲を満たす為に、大きな代償を支払う事になるかもしれない」という事だと思いました。「不倫」とかはでは分かっていましたが、社会生活で考えた事がありませんでした。
こういう事で「生きにくい社会は出来ていくんだな~。」-と思いました。
今の状況だけで判断し、すぐ行政を責めず、どうしてこうなったのか?遡ってみる視点も必要だと思いました。
更に質問です。
あなたは、他人(私)の意見を聞いて、どう思いましたか?
賛同したところ、逆に「違うんじゃない」と思ったところ、いろいろあると思います。人の意見を聞くと「見ている事」や「感じている事」が違う事に気が付いたりします。
日常生活でのあなたの気づきと合わせて、他人と考え方や感じ方などをシェアしていくと、視野が広がって生きやすくなると思うのです。
大好きな沖縄の方へ「行動しないと見えない世界があります」
私がこのブログを書き始めた理由は、体調が本調子ではないからです。
現在は日常生活を送れまるまでになりましたが、一時期は鬱一歩手前までいっていたと思います。
朝最低限の支度をし旦那さんと息子を送り出すと、布団に戻るかソファーでダラダラし帰宅時間になると夜の支度をしていて、気力もないし、力も湧きませんでした。
けれども、おかげで他界した躁鬱病だった父の事が理解出来た気がします。
「意思が弱いとかじゃなくて、本当に動かないんだな~。頭ではこのままではいけない、何かしなきゃと思っても怠い…。お父さんもこんな生活を送っていたのかな~?」と思いました。
それでも、予定がある日は動けたし最低限の家事だけはやれていました。
そして、ずーーーーーと、できない自分を責めていました。
これからがブログの本題です。
かなり回復してきた時に「何がやりたい?」と自分に問うた時に、今の自分が平凡だけど幸せになっている事に改めて気が付いたのです。
私は派手な成功はしていないし、平凡で平穏な生活を望む人は少ないかもしれないけれど、そういう人向けにブログを書いて郷里の沖縄の人の力になりたいと思いました。
そこで、ブログの存在を知って貰う手段として、Twitterを始めました。
ーが、実際やり始めると、私とTwitterで遊んでくれる人と繋がりたくなっていました。
会話が楽しくて楽しくて、子どもに注意されるぐらい夢中になっていました。
続けていくと、Twitterは世界中の人と繋がれる事に気が付きました。今は、複数の方と楽しくコミュニケーションをしています。昔から英語が好きなくせに一向に上達していないのですがこれを機に、英語の勉強を始めました。
更に、息子の英語教室を辞めさせる事ができました。
約5年通わせていましたが、息子の為ではなく私の恐怖心から通わせていた事に気が付いたからです。
一番凄い事は、Twitter上に師匠が沢山いるのです。
(正確に言うと、勝手に師匠と思って慕っているだけですが…。)
私がツイートで質問したり、こう受け取りました。-と伝えると、皆さん丁寧に補足し私が理解できるように配慮して教えてくれるのです。(そのように感じるのです)
師匠は、様々な世界にいて、ライフスタイル、観光、風土、料理、政治、菌、掃除、マインド、最先端の品物、歴史、古典芸能、心理学、スピリチュアル、植物、歌、など多岐に渡ります。
そして一方では、馬鹿馬鹿しいやり取りをする事で、落ち込んだ気持ちが吹っ飛んだ事もあります。そして、落ち込んでいるので遊びに来ました♡と言える人もいます。
行動しないと分からないな~とTwitterを通してつくづく思いました。
SNSは怖いと聞いていたので、数か月始める事を躊躇していました。
でも、始めると現実世界と同じだと思いました。
表面的に付き合う人、聞いたら教えてくれる人、気遣ってくれる人、誹謗中傷する人、いきなりブロックする人、寄って来る人をカモとして扱う人など様々です。
よく考えたらスマホを操作しているのが人間なので、同じだと分かりますよね?でも、私はやってみないと見えなかったのです。
もし、あなたの頭の中に、何か気になるな~とか、やってみたいという事があるなら、行動して体験しないと見えない世界の一面がある事を知っておいて下さいね。
それは、全てに共通するのですから…。
大好きな沖縄の方へ「未来を見据えていますか?」
私の知人で、35歳派遣で働く男性の方がいます。以後Aさんとします。
Aさんは楽して働きたいと言い、新しいスキルを学んだりを拒むのです。
そして仕事は3か月~6か月で変わり長続きしていません。
仕事が続かない理由はいつも他人のせいです。
飲食チェーンの店長をしている友人がいますが、彼女の下でアルバイトをしている60歳くらいの男性がいます。以後彼をBさんとします。Bさんはアルバイトを転々としていて、正社員で働いたことがないそうです。
Bさんは食事をしないお客様は帰れと追い返すそうです。(シフトが違う時にやるそうです)更に新人アルバイトには、掃除など手を抜いてなるべく楽して時給を貰うのがいいと教え、賛同するアルバイトさんを使えない人にするそうです。
その話を聞いたAさんはBさんをバカにしましたが、私から見たAさんの将来はBさんなのです。
若いうちはいいのです。
でも、みんな歳を取ります。生きていると40歳になり50歳になり60歳になります。
仕事でスキルを磨かず、楽ばかりしようと考えているのなら
仕事が出来ないまま歳を取って、年下にバカにされる覚悟で今の楽を選んで下さい。
仕事だけではありません。
私は夫に浮気された友人が何人もいるので様々な話を聞いています。
私の中で「浮気」はいつ起こるか分からないのです。
万が一、旦那さんに浮気されたとしても、自分を責めないように旦那さんを大切に日々暮らしています。そうすると、私も大事にされます。
大事にされるので、私は更に大事にします。
我が家はその好循環で生活しています。
(もちろん、喧嘩などありますよ(*^-^*))
最後に、母の事を紹介させて下さい。
いつも、DVをする父の愚痴を言っていました。でも、今の生活から出るのが怖い母は愚痴止まりでした。60歳を過ぎた時にはじめて『このまま父に人生を支配されたまま死ぬのは嫌だ!』と本気で思ったそうです。
はじめて未来を見据えたんだと思うのです。
そして、母は家を出ました。
約3年間、惨めな生活を送っていましたが、現在一生の生きがいになる趣味兼仕事と出会い、毎日楽しいと言いイキイキと暮らしています。
人は何歳でも、どんな状況からでも幸せになるんだというのが、私の根底にあります。
このままの行動を続けた先の未来を一度本気で考えてみませんか?